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トルコ |
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イスタンブール歴史地域 トルコ最大の街、奥深い歴史持つ。2回呼び名を変えた都市。紀元前からビザンティウムと呼ばれていたが、東ローマ帝国の都と定められて(紀元後4世紀)から呼び名がコンスタンチノーブルに変わり、1453年にオスマントルコに陥落されてからは、イスタンブールと呼ばれるようになった。アジアとヨーロッパを結びつけ産業、旅行、観光の中心都市として栄えている。特にビサンチン帝国のアヤソフィア大聖堂、地下宮殿、オスマントルコ帝国時代のブルーモスク、トプカプ宮殿は見事。写真右上は、アヤソフィア大聖堂。
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トロイの古代遺産 ギリシャの有名な英雄叙事詩ホメロスのイリオスに語られているトロイ戦争の舞台。その伝説の木馬は遺跡の入口に立っている。ドイツの考古学者シューマンがその有名な財宝をドイツに持ち去った。現在はロシアのプシュキン美術館に展示されている。
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ピュラポリス・パムッカレ 山の上から湧いている天然温泉が下の平原に流れ込む間に冷却され、含んでいる炭酸カルシュムを残し、まるで水の流れのような形をしている石灰の大地が作られた。この温泉が、動脈硬化、カリュシュウム不足、皮膚病などさまざまな病気に聞くと言われている。すぐそばにヘレニズム時代からできているヒエラポリスの町が残っている。
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ギョロメ国立公園とカッパドキアの岩窟群 カッパドキアはアナトリア高原の中心に広がる大奇岩地帯。キノコ状の岩に代表される奇岩の不思議な景観、奇岩の中心に残された洞窟教会や修道院。地下何十メートルも掘り下げられた地下都市はカッパドキアの様々な顔。ギョロメ野外博物館には4世紀前後からキリスト教の修道士達が掘りだした洞窟教会や修道院があり、その教会の天井や壁に見事なフレスコ画を残している。当時の修道士たちにとって外敵から身を守り、信仰を守りながら生活できる貴重な地域でもあった。
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カンボジア |
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ロリュオス遺跡群 王都が現在のアンコール地域に移る前、アンコール王朝初代王のジャヤヴァルマンニ世によって礎が築かれ、インドラヴァルマンー世が王都として現在の
ロリュオス地域にハリハララヤを首都として建造を始めた。シェムリアップから国道6号線を南東へ約13kmほどの位置にある。中心寺院の「バコン」にはメール山(須弥山)思想が取り入れられており、早くも王権の神格化が始まっていた様子がうかがえる。「ロレイ」は、アンコール遺跡のメボンと同じ意味を持ち、大貯水池インドラタターカの中央の小島の上に建造された(今はこの貯水池の水は澗れている)。レンガ造りに彫刻には砂岩が使われている。赤褐色のヒンドゥー教寺院。国王の両親を弔うために建造された「プリヤコー」は、アンコール遺跡群のなかで最古のヒンドゥー寺院。
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アンコールワット 12世紀前半、クメール朝のスールヤバルマン2世の指示で、30年をかけて建造されたアンコールワット。
アンコールは「王都」、ワットは「寺院」を意味するこの遺跡は、19世紀末のフランス人植物学者アンリ・ムオーの発見により、世界に知られることになった。
その後、内紛で外部との攘触が絶たれたが、平和が訪れた
1992年、アンコールトムなど周辺の遺跡とあわぜて世界遺産に登録された。外周約5kmの堀に囲まれた約200haの広い敷地に三重の回廊に囲まれた本殿があり、
4基の塔堂の中心にひときわ高い中央祠堂がそびえ立つ。
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アンコールトム アンコール・トムは、「大きな町(都)」を意味する。1辺が3Km、周囲12Kmの城壁で囲まれている。城壁内には、11世紀初頭にジャヤヴィラヴァルマンによって建造された北クリャンリを始めとして、王が代わるたびにピミェンカ、南クリャン、パプーン、プリア・パリライ、プリア・ピトゥと建造された。そして、12世紀後半から13世紀初頭にジャヤヴィラヴァルマン七世によって、アンコール・トムの中央に位置するバイヨン、ライ王のテラス、象像のテラス、プラサット・スゥル・プラットが建造され、また、幅120mの環が掘られ現在の形となっている。10万人の人々が住み 栄えた12~15世紀の玉都アンコールトムは、15世紀前半にアユタヤー朝との戦いに敗れて放棄されたまま.現代にその姿を残している。木造の王宮や館は朽ち果てているが、
環濠や城壁のふたつの門、内部の石造りの建築物が各所に残っており、往時の繁栄をしのばせる。なかでも仏教寺院バイ ヨンは、観世音菩薩が彫り込まれた四面仏顔像が林立し、その迫力に目を奪われる。
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タ・プローム 「梵天の古老という意味をもつタプロム。12世紀末、ジャヤバルマン七世が母の菩提を弔うために建立したといわれる。当時は仏教寺院だったが、後にヒンドゥー寺院に改修された巨人の足が石を踏みつけているように見える巨大なガジュマルの根が、面妖ながらも芸術的な威厳を放っている。ガジュマルの侵食が遺跡の崩壊を促しているのだが、しっかりと根を張っている木々を撤去すれば遺跡そのものが倒壊してしまうのだとか。
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バンテアイ・スレイ ラージェンドラヴァルマンニ世王(967年)の治世に、当時のアンコール王朝摂政役であった王の師ヤッニャッヴァラーハの菩提寺として建設された、ヒンドゥー教寺院。「女の砦」を意味するこの遺跡は、ラテライトと赤色砂岩に美しいレリーフが施されている。彫りの深さと級密さはずばぬけており、見応えがある。数多いアンコール遺跡の中でレリーフがもっとも美しいと言われているそうです。また、紅色砂岩でつくられた遺跡は、ここだけだそうです。残念 なのは遺跡修復のため2008年まで中央祠堂の周りと北側が立ち入り出来ず、したがって、東洋のモナリザと呼ばれるデバダーを始め、一部は見ることが出来ません。
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アメリカ |
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ヨセミテ国立公園 カリフォルニア東端、シェラネヴァダ山脈の中央部に位置するヨセミテ国立公園。1890年に全米で2番目の国立公園として指定された。なかでもヨセミテ・バレー周辺は、かつて氷河によって大きく削られた数々の巨岩に囲まれ、訪れる人々を感嘆させる。巨岩として有名なエル・キャピタン、円頂形ドームが氷河によって削りとられた巨大な岩塊のハーフ・ドーム、滝の宝庫ともいわれるヨセミテのなかでも最も荘厳なヨセミテ滝、巨大なセコイアの森林のマリポサ・グローブなどなど見所が沢山ある。
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グランド・キャニオン国立公園 コロラド川の悠々の流れがが、アリゾナの雄大な大地を削り取って造り出された大渓谷。全長450kmにも及ぶこの大渓谷では、世界有数の自然の造形美を味わうことができる。露出した岩肌は、地球の歴史の3分1にあたる。ほぼ20億年の地増が見られ、その壮大なスケールと美しさにだれもが息を呑むはず。
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ロシア |
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サンクト・ペテルブルグ サンクト・ペテルブルグは、フィンランド湾に流れ出るネヴァ川のデルタ地帯に発達した町。ネヴァ川の支流や運河を含めると、65本の川と100以上の島がある。これらは365の橋によって結ばれ、”北のヴェニス”とも呼ばれる水の都だが、ヴェニスより、はるかにスケールが大きい。 町の中心部には、美観を考慮して建てられた18,19世紀のバロック、クラシック様式の建築が、激動の時代を越えて残されている。帝政と社会主義体制、そして共和国という3つのまったく異なる政治体制とその歴史、文化を知るのに絶好の場所である。
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クレムリンと赤の広場 クレムリンは、モスクワ川沿いの高台を取り巻く赤い城壁の内側を指す。過去3回にわたって拡大され現在の姿になった。最初は1156年ユーリー・ドルゴルーキー公がボロヴィッキーの丘に木造りの砦を造築したのが始まり。その後、1367~1368年に白い石の壁に拡張改築され、1485~1495年にロシア人とイタリア人の工匠が現在の城壁をはり巡らせた。
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エストニア |
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タリン歴史地区 13世紀に創設された町。エストニア人の塔を占領し、築かれたデンマーク人の城を中心に発展した。タリンはエストニア語で「デンマーク人の城」を意味する。下町は主にドイツ人商人が築いたもので、ハンザ同盟都市として発展した。町を取り囲む城壁、教会、市庁舎、ハンザ商人の住居や倉庫などが中世そのままで保存されている。
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ラトヴィア |
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リーガ歴史地区 バルト海に一世を風靡したハンザ同盟の中心的な町。13世紀に住民をキリスト教徒化するために、十字群騎士団とともの上陸したドイツ人僧正により創設された。
(リンク元に戻る)旧市街地には教会や商人の住居、石畳の道などが残り、中世の面影を今にも伝えている。また、ユーゲントシュティール様式ろ呼ばれるアール・ヌーヴォー建築が、ヨーロッパでも最も集中して見られる町である。 |
リトアニア |
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ヴィリニュース歴史地区 1323年、リトアニアの大公ケディミナスにより創設された町。典型的なカトリックの町で、ドイツ的な要素が強いタリンやリーガとは明確な対比を見せている。東ヨーロッパで最も広い旧市街のひとつであり、バロックを中心としたさまざまな様式の建築が迷路のような旧市街全域に広がっている。内陸部にあって、緑の丘に囲まれたのどかな町である。
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スペイン |
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トレド旧市街 |
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カテドラル(ヒラルダの塔) イスラム支配時代の大モスクを基礎として建てられたカテドラル。1403年から約100年を費やして建設された。完成されたカテドラルはゴシックとルネッサンスの混合様式で、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂と並ぶ世界第三カテドラルとなった。
そのヒラルダの塔からセビーリャの街を望む。 (リンク元に戻る) |
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アルバイシン |
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アルハンブラ宮殿 イスラムのスペイン支配最後の牙城。歴代の王の居城として、最後の楽園の思いをう凝縮した華麗な宮殿。1492年、イスラム勢力を束ねた宮殿の無血開城により、
カトリック軍によるレコキスタ(国土回復運動)は終わりを告げた。スペイン史変遷の舞台となった宮殿である。
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グエル公園 ガウディの理想郷、バルセロナのグエル公園。ガウディは19世紀末~20世紀の初頭にかけて、バルセロナとその周辺に無類無比の見地器物を築いた。
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イタリア |
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ヴェネツィア |
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フィレンツェ歴史地区 花の都という美しい名を持つフィレンツェ。もとはこの辺一帯野の花が咲き荒れていたからこう呼ばれてのが、まさしくルネサンス発祥の地として、華麗な文化が開花した。文芸・芸術の巨星たちの足跡は街のいたるところに残っている。
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ニュージランド |
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ミルフォードサンド ミルフォードサンドは、切立つ山々に挟まれた細長い入り江。目の前に雄大なマイターピーク(1684m)の山がそびえ立つ。海から直接そそり立つ山としては、世界一の高さを誇る。
(リンク元に戻る)マイターとは、キリスト教の司教の帽子のことで、三角形のシルエットがこの帽子に似ていることから名付けられた。 |
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