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   世界遺産アンコールワットとホーチミン6編    

ベトナムに行くきっかけは

 今回の旅行は、日吉会のメンバーの一人がベトナムに長期出張しているので、その彼が滞在中にベトナムに行くことにした。参加者は3人だったのでミニ日吉会と名付けた。当初、福岡空港と成田空港から別々に出発して現地で同じツワー、同じホテルに宿泊できるように計画した。メンバーの一人が「夫婦同伴で行こう」と提案してきた。皆も賛成して計画はほぼ決まりかけていたが、メンバーの一人が、「鳥インフルエンザが流行しているので、少し様子を見よう」と言い出したので、延期することにした。

 鳥インフルエンザも少し落ち着いてきたので、計画を前進させようとしていたところ、今度は福岡のメンバーが「神奈川に用事が出来たので、その足で成田から出発するから東京方面のメンバーが計画して」と言ってきた。結局全員が成田空港から出発するようになった。成田から出発する旅行パンフレットをいろりろと探していたら、当初福岡で計画していたスケジュールと全く同じパンフレットを見つけたので、即、そのスケジュールで旅行会社に申し込んだ。長い長い時間がかかったが、やっとベトナム行きが実現できた。
 (旅行記の写真をクイックリィに閲覧できます。)

スケジュール

月 日 都市名 時刻 交通機関 スケジュール
11月7日 東京(成田)
ホーチミン 
ホーチミン 
シェムリアップ



10:30発
14:55着
16:30発
17:30着



VN951

VN829




日本航空とのコードシェア便。 10:37離陸。
ホーチミン着陸:14:49
ホーチミン離陸:16:29

ホテル着:18:00
昼食(機内食)
夕食(なし):19:00〜21:00
11月8日 カンボジア  8:45発

12:35発
14:50発

16:55登
18:15着

20:37着
バス 午前:世界遺産 ロリュオス遺跡観光
    ロレイ、プリア・コー、バコン
昼食:カンボジア風うどん”クイティヴなど
午後:アンコールワット見学

夕刻:アンコール遺跡群の夕刻の情景見学
夜:カンボジア料理の夕食と宮廷舞踊りアブサラの舞い鑑賞
ホテル  
11月9日 カンボジア








シェムリアップ
ホーチミン  

 5:20発

 8:55発

13:00着
14:10着




20:25発
21:25着




バス





VN848

早朝:アンコールワットの夜明けの情景見学
ホテルで朝食
午前:バンテアイ・スレイ観光(10:50発)
昼食:カンボジア風ココナッツカレー"アモック”など
午後:オールドマーケット観光(13:45発)
    タ・ブローム観光(15:00発)
    アンコール・トム観光
     ライ王のテラス、像のテラス、ピミアナカス、
     パブオーン、バイヨン、南大門
シェムリアップ空港(17:50着)
シェリアップム(21:25離陸)
ホーチミン(22:10着陸)
ホテル着(23:00)
夕食なし
11月10日 ホーチミン 9:15発
12:00着


13:00着

バス 午前:ホーチミン市内観光
昼食:「コンゴン」にてベトナム風お好み焼きパイン・セオ、ベトナムを代表する麺フォー、チェー(ベトナム風ぜんさい)とベトナムコーヒー
ホテル
自由行動(18:00〜22:00)
11月11日







ホーチミン
8:30発
10:40着
12:45着

15:25着
19:40着


23:55発




バス



VN950
午前:ミトーのメコン川クルーズと昼食

昼食はメコン川名物のエレファント・フィッシュやエビを使った料理
ホテル
夜:「ソングー」レストランにてベトナム民族音楽を楽しみながら人気のハマグリのワイン無しやエビ、カニなどの料理の夕食
日本航空とのコードシェア便
11月12日 東京(成田)

 7:25着

VN950
バス
成田には、7:6に着陸した。
8:25に高速バスに乗った。

1日目:シェムリアップへ

 1日目は、成田空港からベトナムのタンソンニャット空港に行き、トランジェットで、カンボジアのシェムリアップ空港に到着。そのままシェムリアップの中心部にある SOFITEL ROYAL ANGKOR GOLF&SPARESORT ホテルに直行した。

 成田空港を10時37分離陸、タンソンニャット空港に14時49分(現地時間)着陸。日本とベトナムの時差は2時間で日本が2時間早い。 よって、成田からタンソンニャットまで約6時間はかかる。成田空港を離陸して、しばらくすると、出入国カードが配られる。 そのカードのフォーマットが旅行雑誌などに記載されているものと違っていたので、出入国カードでないと思っていたが、よくよく見てみると、出入国カードだった。 必死になって記入したが、トランジェットの人は必要なかった。

 タンソンニャット空港を離陸すると、すぐに出入国カードが配られた。これは、雑誌等の記載されているものと同じフォーマットだった。 約1時間でシェムリアップ空港に到着した。シェムリアップ空港は、新しく建て直したようで、カンボジアの国情に似合った建物で新鮮だった。 ホテルに到着したのは、18時だった。この日は、夕食は付いていないので、ホテル敷地内のイタリアレストランパブで食事をした。
(写真拡大「成田空港からホテルのサインまで」は、こちらをご覧ください。)

                                              


成田空港:この飛行機の乗る


シェムリアップ空港:この飛行機で到着
洒落たシェムリアップ空港

イタリアレストランパブで夕食



イタリアレストランパブ


ホテルのエントランスホール


ホテルの部屋に行く途中


ホテル敷地入り口から眺める


ホテルのサイン

カンボジア観光した位置

@シェムリアップ国際空港
Aシュムリアップ中心部
Bロリュオス遺跡群
Cアンコールワット
Dプノン・バゲンの丘からアンコール遺跡群の夕刻の情景
Eアンコールワット夜明けの情景
Fバンチアイ・スレイ
Gアンコールトム
Hタ・プローム
Iオールドマーケット

  (地図拡大)

2日目:ロリュオス遺跡群観光とアンコールワット観光

 2日目は、午前:ロリュオス遺跡観光。ロレイ、プリ・アコー、パコンを観光した。
昼食:カンボジア風うどん”クイティブ”などのクメール料理。食事後:ホテルで休息。
午後:アンコールワット観光。夕刻:プノン・バケンハの丘の上からアンコール遺跡群の夕刻の情景を観光。夜:カンボジア料理の夕食と宮廷舞踏アブサラの舞を鑑賞した。

(写真拡大「ロリュオス遺跡群観光からアンコールワットの夜明けまで」は、こちらをご覧ください。)

ロリュオス遺跡群観光

 王都が現在のアンコール地域に移る前、アンコール王朝初代王のジャヤヴァルマンニ世によって礎が築かれ、インドラヴァルマンー世が王都として現在の ロリュオス地域にハリハララヤを首都として建造を始めた。シェムリアップから国道6号線を南東へ約13kmほどの位置にある。中心寺院の「バコン」にはメール山(須弥山)思想が取り入れられており、早くも王権の神格化が始まっていた様子がうかがえる。「ロレイ」は、アンコール遺跡のメボンと同じ意味を持ち、大貯水池インドラタターカの中央の小島の上に建造された(今はこの貯水池の水は澗れている)。レンガ造りに彫刻には砂岩が使われている。赤褐色のヒンドゥー教寺院。国王の両親を弔うために建造された「プリヤコー」は、アンコール遺跡群のなかで最古のヒンドゥー寺院。


ロレイの前で全員お揃い


プリア・コー


バコン


バコンの上から眺める


許可をもらって僧侶を撮影

入場料(アンコール・パス)

 外国人旅行者がアンコール遺跡へ入場するためには、「アンコール・パス」が必要で、チェックポイントで作成する。1日券以外は、顔写真も貼られる。写真は、現地で撮影してくれるが、前以て持参していると早く「アンコール・パス」ができると思われる。遺跡へ向かうには毎回、ここでパスをみせなければならないほか、主要な遺跡の入り口にも係員がいて、アンコール・パスの提示を求められるので、紛失しないように気お付けなければならない。
  


チェックポイント


アンコール・パス

アンコールワット観光

 12世紀前半、クメール朝のスールヤバルマン2世の指示で、30年をかけて建造されたアンコールワット。アンコールは「王都」、ワットは「寺院」を意味するこの遺跡は、19世紀末のフランス人植物学者アンリ・ムオーの発見により、世界に知られることになった。その後、内紛で外部との攘触が絶たれたが、平和が訪れた 1992年、アンコールトムなど周辺の遺跡とあわぜて世界遺産に登録された。外周約5kmの堀に囲まれた約200haの広い敷地に三重の回廊に囲まれた本殿があり、4基の塔堂の中心にひときわ高い中央祠堂がそびえ立つ。アンコール遺跡群のなかでも最大の建築物で、見る者を圧倒する存在感を放っている。塔堂は3層の ピラミッド状で、塔は「神が住む山」、堀は「大海原」、堀の周壁は「ヒマラヤの霊峰」に見立てて造られたという。回廊を埋め尽くすヒンドゥー教や古代インドの叙事詩、伝説にまつわるレリーフは実に見ごと。クメール文化のレベルの高さに感嘆せずにはいられない。

アンコールワットの配置図と中心部
    

                  (アンコールワットの配置図と中心部の拡大)

スナップをご覧ください



西参道を歩いて西塔門に向かう


西塔門の階段上がりきると3塔が見える


北側の池から5塔が見える


どの壁にも物語が彫刻されている


中央祠堂に行くための急な階段


必死になって登りきる


降りるときは、手摺りの付いた階段から

アンコール遺跡群の夕刻の情景を観光

 アンコールワットとバイヨンのほぼ中間に位置する高さ60mほどの小高い丘は、アンコール三聖山として人々の厚い信仰を集めいる。像タクシーに挑戦しようと思ったが、順番待ちが行列を作っていたので止めて歩くことにした。徒歩で約く20分で丘にたどり着く。


客を待つ像タクシー


アンコールワットの勇姿が見える?
静かに沈む夕日

カンボジア料理の夕食と宮廷舞踏アブサラの舞を鑑賞

 料理はバイキング形式だった。席は、舞台のすぐ前だったが、料理は後ろの方にあった。カンボジア料理だったが何を食べたか覚えていない。アブサラの舞はよく見えた。

アブサラの舞

3日目:バンテアイ・スレイ、アンコル・トムとタ・ブローム観光

 3日目は、朝5時20分に集合してアンコールワットの夜明けの情景を見学。ホテルで朝食後、午前:バンテアイ・スレイ観光。昼食:カンボジア風ココナッツカレー”モアック”や名物かぼちゃプリンなどのクメール料理。
 午後:アンコール・トム観光。南大門、バイヨン寺院、ピミアナカス、ライ王のテラス、像のテラス、パブーオンを観光した。次に タ・プローム観光。最後にオールドマーケット観光。

アンコールワットの夜明けの情景を見学



夜明けを待つ西塔門


夜明けを待つ5つの塔
日の出の瞬間!

バンテアイ・スレイ観光

 シェムリアップから北東へ約く40km。ラージェンドラヴァルマンニ世王(967年)の治世に、当時のアンコール王朝摂政役であった王の師ヤッニャッヴァラーハの菩提寺として建設された、ヒンドゥー教寺院。「女の砦」を意味するこの遺跡は、ラテライトと赤色砂岩に美しいレリーフが施されている。彫りの深さと級密さはずばぬけており、見応えがある。数多いアンコール遺跡の中でレリーフがもっとも美しいと言われているそうです。また、紅色砂岩でつくられた遺跡は、ここだけだそうです。残念 なのは遺跡修復のため2008年まで中央祠堂の周りと北側が立ち入り出来ず、したがって、東洋のモナリザと呼ばれるデバダーを始め、一部は見ることが出来ません。
(写真拡大「バンテアイ・スレイ観光からタ・プローム観光まで」は、こちらをご覧ください。)



 

東門には3頭の神様象「アイラーヴィタ」に乗ったインドラ神の破風に出迎えるとあるが見えますか?
 

東門から寺院に向かう参道。両端にリンガ(男性の性器を象徴)を模した像が並ぶ


きめ細かい彫刻


西門をバックに


この門の象は良く見える


見事なレリーフ


真ん中が中央祠堂

砂糖ヤシのアメつくりを見学

 シェムリアップ帰路途中で、トイレタイムと砂糖ヤシのアメつくりを見学した。トイレタイムでは、蓮の花が綺麗にさいていた。砂糖キビ餅つくりに寄ったが、働いているのは娘だった。住居も風通しをよくするため高床式つくりである。


綺麗に咲いている


娘が働く


高床式住居  左:ガイドのサボックさん
   

昼食後オールドマッケトへ

 昼食は、新しくできたアマイオンアンコールレストランで、 カンボジア風ココナッツカレー”アモック”や名物かぼちゃやプリンなどクメール料理を食べた。私には、少し甘かった。食事が終わると、オールドマーケットに向かった。確りと品定めをすれば掘り出し物が手に入るかもしれないが、なかなか買う気にはなれない。店を一回りして川辺で休息した。予定より若干早いが先に行くことをガイドのサボックさんに催促した。


真新しいアマイオンアンコールレストラン


乾杯!
オールドマーケット


川辺からオールドマーケットを眺める

タ・プローム観光

 「梵天の古老という意味をもつタプローム。12世紀末、ジャヤバルマン七世が母の菩提を弔うために建立したといわれる。当時は仏教寺院だったが、後にヒンドゥー寺院に改修された巨人の足が石を踏みつけているように見える巨大なガジュマルの根が、面妖ながらも芸術的な威厳を放っている。ガジュマルの侵食が遺跡の崩壊を促しているのだが、しっかりと根を張っている木々を撤去すれば遺跡そのものが倒壊してしまうのだとか。アンコール遺跡群のなかでも最も崩壊が進んでいる遺跡といえるだろう。寺院には200以上の仏像や四面仏の塔門、回廊、中央祠堂がある。周囲は菓西1km、南北0.6kmにわたり紅土岩の塀で囲まれており、5万人以上の人が暮らしていたという。自然力をまざまざと見せつけられます。一度、現地で見てください。

  

アンコール・トム観光

 アンコールワットの北に位置する、アンコール・トムは、「大きな町(都)」を意味する。 1辺が3Km、周囲12Kmの城壁で囲まれている。城壁内には、11世紀初頭にジャヤヴィラヴァルマンによって建造された北クリャンリを始めとして、 王が代わるたびにピミェンカ、南クリャン、パプーン、プリア・パリライ、プリア・ピトゥと建造された。 そして、12世紀後半から13世紀初頭にジャヤヴィラヴァルマン七世によって、アンコール・トムの中央に位置するバイヨン、 ライ王のテラス、象像のテラス、プラサット・スール・プラットが建造され、また、幅120mの環が掘られ現在の形となっている。 10万人の人々が住み 栄えた12〜15世紀の玉都アンコールトムは、15世紀前半にアユタヤー朝との戦いに敗れて放棄されたまま.現代にその姿を残している 。木造の王宮や館は朽ち果てているが、 環濠や城壁のふたつの門、内部の石造りの建築物が各所に残っており、往時の繁栄をしのばせる。 なかでも仏教寺院バイ ヨンは、観世音菩薩が彫り込まれた四面仏顔像が林立し、その迫力に目を奪われる。 寺院の回廊に彫られたレリーフは宗教的なモチーフが多いが、第1回廊には宮廷の調理場や兵士の出陣、食事の場面など、当時の生活が描かれている。   (MAPの拡大)。 
  ここで、アンコール・トム鳥瞰図で、イメージをつかみましょう。
 (写真拡大「アンコール・トム観光から南大門をバックにまで」は、こちらをご覧ください。)


ライ王のテラス(MAPD)

 クメ ール独自の神話である「ライ王伝説」の主人公であるライ王の彫像が安置されていたことから、「ライ王のテラス」と呼ばれるようになった。その昔、とある王様が密林の中で毒蛇と戦 い、大蛇を仕留める時に返り血 を浴びてハンセ ン(ライ)病に感染したという神話である。


壁面の高さは約6m。レリーフが6段に分かれて彫られている。


テラスの上にはライ王象がある。レプリカで本物はプノンペンの国際博物館にある。
外壁は二重になっており、内壁にもぎっしりとレリーフが彫られている。

プラサット・スール・プラット(MAPI)

 王宮前広場に広がる12基もの四角い塔は、当時、塔から塔へ綱雄わたして踊り子に綱渡りをさせた言われている。ライ王のテラスからプラサット・スール・プラットを眺める。

象のテラス(MAPC)

 12世紀の後半、ジャヤヴァルマン7世により造営された新王富には、外敵の侵入を防ぐために二重の防護壁が増設されたが、同時に広場に面する東側正面には、閲兵用の重厚長大なテラスも新設された。壁面には象の浮き彫りが連ねられ、要所に三つ首の象神エラワンが蓮の花を長い鼻でつかむ様子が描かれていることなどから、「象のテラス」と呼ばれている。中央部分は国王専用のテラスで、ここから東の「勝利の門」へと一直線に行軍用の道路が延びている。テラスの中央に仁王立ちして、アン コールワットの壁画に描かれた勇ましい行軍の様子を思い浮かべてみれば、王様気分に浸れる。写真は、蓮の花をつかむエラワン神像。
国王の専用テラスから左の壁には象のレリーフが、右の壁にはガルダーのレリーフが満載。

ピミアナカス(MAPF)

 アンコールトム建都以前の11世紀初めごろに、王宮の中心部に建立されたヒンドゥー教寺院で、「天上の宮殿」という意味の名称だ。建立当時は、天界の中心であるメール山(須弥山)をかたどる ピラミッド型をしていたが、今では中央祠堂の大 部分が崩壊している。国王の住居である王宮の中心に神々の世界がおかれたことで、以降、王権の神格化はよりいっそう盤石になったとされている。正面の階段は滑りやすく危険である。裏手に登り易く階段が造られているので、この階段を利用するといい。

パプーオン(MAPB)

 11世紀の中ごろ、アンコールトム以前の城都に建てられたヒンドゥー教寺院で、正面入口の東塔門から中央祠堂へと延びる参道は、200mにわたり高さ2mの四列円柱に支えられている。あたかも空中を歩くかのような感覚で、ヒンドゥー神話の地上と天界を結ぷ虹の架け橋を再現しており、 この技法はその後、アンコールワットの参道やアンコールトムの環壕に架かる橋などへと受け 継がれて進化したといわれている。この寺院には名称にまつわる伝説が残されている。その昔、シャムの王様とクメールの王様は兄弟だった。シャムの王様が王子をクメールの王様に預けると、クメールの臣下たちはこれを策謀だとして怒り、王子を殺害してしまう。 怒ったシャ ム王はクメール征伐に侵攻するが、クメール王妃は王子をこの寺院に隠したという伝説で、そこから「隠し子」という意味の名前がつけられたといわれている。王朝の最盛期である13世紀に元朝クビライの使節、周達観が記した紀行文「真脳風土記」では、「金の塔(バイヨン)の北にある銅の塔」と呼ばれていて、 当時はバイヨンよりも高 さでは勝っていたと記されている。中央祠堂は現在修復作業中のため寺院内の参観はできない。

バイヨン(MAPA)

バイヨン寺院の参道は、朝日を浴びるように東を向いている。第一回廊と第二回廊に囲まれた中央には高さ42mの本殿がそびえ、四面体の観世音菩薩像は寺院内に計49体、至る所で神秘的な微笑をふりまいている。王部内にはほかにも五城門に1体ずつ菩薩像があり、合計すると54体あるが、この数は当時の王国内におかれていた州の数に由来するといわれている。ちなみに環壕に架かる橋に描かれた神々と阿修羅像の数も、同じく54体ある。参道を進むにつれて次第に菩薩像の 顔が大迫力で迫ってくる。第一回廊の壁画は、東西160m、南北140mあり、アンコールの遺跡では一般的な、神々のため、あるいは神に同化するために彫り込 まれた壁画とは異なり、ここには神話や勇ましい 戦闘の様子ばかりでなく、当時の庶民生活の様子が生き生きと写実的に浮き彫りにされていて興味深い。第二回廊の壁画はおもにヒンドゥーの神話や伝説が主題となっていて、東面北側には三島由紀夫の戯曲のヒントになったという有名な「ライ王伝説」の神話が一画に展開している。

  (MAP バイヨン 拡大)




   バイヨンの全姿



    回廊の壁画


あっちを見てもこっちを見ても
四面体の観世音菩薩像


「クメールの微笑み」の前で

南大門

参道の欄干には、ヒンドゥーの天地創造まつわり神話「乳海攪拌」をモチーフに、神々と阿修羅が左右にそれぞれ54体ずつ、犬蛇の胴体を抱えて綱引きをするような姿が描かれている。大門の高さは25mで、3mの菩薩の顔が東西南北を向いて4体あり、それぞれの顔が喜怒哀楽を表現していて、日の当たる加減に合わせて刻々と表情が変化するといわれている。


南大門をバックに

ホーチミンヘ

 シェムリアップ空港を20時25分発。飛行機は滑走路に向かっていたが途中で元の位置に戻ってしまった。整備員などが乗り込み修理していた。どうやらトイレが故障していたらしい。約1時間遅れで出発した。ベトナムのホーチミンにある SOFITEL PLAZA SAIGON ホテルに23時ごろ到着した。この日の夕食は、付いていないので、シェムリアップ空港のカフェで食事した。

感 想

 カンボジアの面積は、18.1万平方Ku(日本の約2分の1)。人口は、約1100万人(プノペン市の人口は約100万人、 シェムリアップ州の人口は約70万人)である。今回、シェムリアップしか行ってないが、先ず驚いたのは自転車とバイクの多いことである。 特にバイクは、2〜4人同乗して走っている。信号機は、シェムリアップ中心部で3箇所しかない。道路を横断するには勇気がいる。 また、電気は隣国のタイから供給されていて電力不足である。中心部を離れると電気は供給されていない。水道もなく井戸を使用している。

 そんな環境だが、子供たちの育成には力を入れているようだ。小学校は2部制、午前と午後に分かれている。また、病院は、15歳まで無料である。 しかし、どこの観光地に行っても子供たちが物売りに言い寄ってくる。あまりも、しつこいので気分を害する。

 日本が平安〜室町時代にあたる9世紀から15世紀にアンコール王朝が君臨しており、巨大な王都を築いた。 この王都は、当時の世界のいかなる都市にとも比肩しうるほどの巨大な城都だそうだ。是非一度現地でご覧ください。


(写真拡大「成田空港からホテルのサインまで」は、こちらをご覧ください。)
(写真拡大「ロリュオス遺跡群観光からアンコールワットの夜明けまで」は、こちらをご覧ください。)
(写真拡大「バンテアイ・スレイ観光からタ・プローム観光まで」は、こちらをご覧ください。)
(写真拡大「アンコール・トム観光から南大門をバックにまで」は、こちらをご覧ください。)

  このページは、以下の書庫を参照しました。
実業之日本社のわがまま歩き30 海外自由旅行の道具箱 「ベトナム アンコールワット」
旺文社の「マップルマガジン ベトナム」
アドフューズコミュニケーションズの「はうとぅ@かんぼじあ」
JTBのASIAN BOOK 「CAMBODIA2006」


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