ベトナムに行くきっかけは 今回の旅行は、日吉会のメンバーの一人がベトナムに長期出張しているので、その彼が滞在中にベトナムに行くことにした。参加者は3人だったのでミニ日吉会と名付けた。当初、福岡空港と成田空港から別々に出発して現地で同じツワー、同じホテルに宿泊できるように計画した。メンバーの一人が「夫婦同伴で行こう」と提案してきた。皆も賛成して計画はほぼ決まりかけていたが、メンバーの一人が、「鳥インフルエンザが流行しているので、少し様子を見よう」と言い出したので、延期することにした。
鳥インフルエンザも少し落ち着いてきたので、計画を前進させようとしていたところ、今度は福岡のメンバーが「神奈川に用事が出来たので、その足で成田から出発するから東京方面のメンバーが計画して」と言ってきた。結局全員が成田空港から出発するようになった。成田から出発する旅行パンフレットをいろりろと探していたら、当初福岡で計画していたスケジュールと全く同じパンフレットを見つけたので、即、そのスケジュールで旅行会社に申し込んだ。長い長い時間がかかったが、やっとベトナム行きが実現できた。 (旅行記の写真をクイックリィに閲覧できます。) スケジュール
1日目:シェムリアップへ1日目は、成田空港からベトナムのタンソンニャット空港に行き、トランジェットで、カンボジアのシェムリアップ空港に到着。そのままシェムリアップの中心部にある SOFITEL ROYAL ANGKOR GOLF&SPARESORT ホテルに直行した。成田空港を10時37分離陸、タンソンニャット空港に14時49分(現地時間)着陸。日本とベトナムの時差は2時間で日本が2時間早い。 よって、成田からタンソンニャットまで約6時間はかかる。成田空港を離陸して、しばらくすると、出入国カードが配られる。 そのカードのフォーマットが旅行雑誌などに記載されているものと違っていたので、出入国カードでないと思っていたが、よくよく見てみると、出入国カードだった。 必死になって記入したが、トランジェットの人は必要なかった。 タンソンニャット空港を離陸すると、すぐに出入国カードが配られた。これは、雑誌等の記載されているものと同じフォーマットだった。 約1時間でシェムリアップ空港に到着した。シェムリアップ空港は、新しく建て直したようで、カンボジアの国情に似合った建物で新鮮だった。 ホテルに到着したのは、18時だった。この日は、夕食は付いていないので、ホテル敷地内のイタリアレストランパブで食事をした。 (写真拡大「成田空港からホテルのサインまで」は、こちらをご覧ください。)
カンボジア観光した位置
2日目:ロリュオス遺跡群観光とアンコールワット観光2日目は、午前:ロリュオス遺跡観光。ロレイ、プリ・アコー、パコンを観光した。昼食:カンボジア風うどん”クイティブ”などのクメール料理。食事後:ホテルで休息。 午後:アンコールワット観光。夕刻:プノン・バケンハの丘の上からアンコール遺跡群の夕刻の情景を観光。夜:カンボジア料理の夕食と宮廷舞踏アブサラの舞を鑑賞した。 (写真拡大「ロリュオス遺跡群観光からアンコールワットの夜明けまで」は、こちらをご覧ください。) ロリュオス遺跡群観光王都が現在のアンコール地域に移る前、アンコール王朝初代王のジャヤヴァルマンニ世によって礎が築かれ、インドラヴァルマンー世が王都として現在の ロリュオス地域にハリハララヤを首都として建造を始めた。シェムリアップから国道6号線を南東へ約13kmほどの位置にある。中心寺院の「バコン」にはメール山(須弥山)思想が取り入れられており、早くも王権の神格化が始まっていた様子がうかがえる。「ロレイ」は、アンコール遺跡のメボンと同じ意味を持ち、大貯水池インドラタターカの中央の小島の上に建造された(今はこの貯水池の水は澗れている)。レンガ造りに彫刻には砂岩が使われている。赤褐色のヒンドゥー教寺院。国王の両親を弔うために建造された「プリヤコー」は、アンコール遺跡群のなかで最古のヒンドゥー寺院。入場料(アンコール・パス)外国人旅行者がアンコール遺跡へ入場するためには、「アンコール・パス」が必要で、チェックポイントで作成する。1日券以外は、顔写真も貼られる。写真は、現地で撮影してくれるが、前以て持参していると早く「アンコール・パス」ができると思われる。遺跡へ向かうには毎回、ここでパスをみせなければならないほか、主要な遺跡の入り口にも係員がいて、アンコール・パスの提示を求められるので、紛失しないように気お付けなければならない。アンコールワット観光12世紀前半、クメール朝のスールヤバルマン2世の指示で、30年をかけて建造されたアンコールワット。アンコールは「王都」、ワットは「寺院」を意味するこの遺跡は、19世紀末のフランス人植物学者アンリ・ムオーの発見により、世界に知られることになった。その後、内紛で外部との攘触が絶たれたが、平和が訪れた 1992年、アンコールトムなど周辺の遺跡とあわぜて世界遺産に登録された。外周約5kmの堀に囲まれた約200haの広い敷地に三重の回廊に囲まれた本殿があり、4基の塔堂の中心にひときわ高い中央祠堂がそびえ立つ。アンコール遺跡群のなかでも最大の建築物で、見る者を圧倒する存在感を放っている。塔堂は3層の ピラミッド状で、塔は「神が住む山」、堀は「大海原」、堀の周壁は「ヒマラヤの霊峰」に見立てて造られたという。回廊を埋め尽くすヒンドゥー教や古代インドの叙事詩、伝説にまつわるレリーフは実に見ごと。クメール文化のレベルの高さに感嘆せずにはいられない。アンコールワットの配置図と中心部
(アンコールワットの配置図と中心部の拡大)
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静かに沈む夕日 |
アブサラの舞 |
日の出の瞬間! |
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オールドマーケット |
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壁面の高さは約6m。レリーフが6段に分かれて彫られている。 |
テラスの上にはライ王象がある。レプリカで本物はプノンペンの国際博物館にある。 |
外壁は二重になっており、内壁にもぎっしりとレリーフが彫られている。 | |
プラサット・スール・プラット(MAPI) 王宮前広場に広がる12基もの四角い塔は、当時、塔から塔へ綱雄わたして踊り子に綱渡りをさせた言われている。ライ王のテラスからプラサット・スール・プラットを眺める。 |
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象のテラス(MAPC) 12世紀の後半、ジャヤヴァルマン7世により造営された新王富には、外敵の侵入を防ぐために二重の防護壁が増設されたが、同時に広場に面する東側正面には、閲兵用の重厚長大なテラスも新設された。壁面には象の浮き彫りが連ねられ、要所に三つ首の象神エラワンが蓮の花を長い鼻でつかむ様子が描かれていることなどから、「象のテラス」と呼ばれている。中央部分は国王専用のテラスで、ここから東の「勝利の門」へと一直線に行軍用の道路が延びている。テラスの中央に仁王立ちして、アン
コールワットの壁画に描かれた勇ましい行軍の様子を思い浮かべてみれば、王様気分に浸れる。写真は、蓮の花をつかむエラワン神像。 |
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国王の専用テラスから左の壁には象のレリーフが、右の壁にはガルダーのレリーフが満載。 | |
ピミアナカス(MAPF)
アンコールトム建都以前の11世紀初めごろに、王宮の中心部に建立されたヒンドゥー教寺院で、「天上の宮殿」という意味の名称だ。建立当時は、天界の中心であるメール山(須弥山)をかたどる
ピラミッド型をしていたが、今では中央祠堂の大 部分が崩壊している。国王の住居である王宮の中心に神々の世界がおかれたことで、以降、王権の神格化はよりいっそう盤石になったとされている。正面の階段は滑りやすく危険である。裏手に登り易く階段が造られているので、この階段を利用するといい。 |
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パプーオン(MAPB) 11世紀の中ごろ、アンコールトム以前の城都に建てられたヒンドゥー教寺院で、正面入口の東塔門から中央祠堂へと延びる参道は、200mにわたり高さ2mの四列円柱に支えられている。あたかも空中を歩くかのような感覚で、ヒンドゥー神話の地上と天界を結ぷ虹の架け橋を再現しており、
この技法はその後、アンコールワットの参道やアンコールトムの環壕に架かる橋などへと受け 継がれて進化したといわれている。この寺院には名称にまつわる伝説が残されている。その昔、シャムの王様とクメールの王様は兄弟だった。シャムの王様が王子をクメールの王様に預けると、クメールの臣下たちはこれを策謀だとして怒り、王子を殺害してしまう。
怒ったシャ ム王はクメール征伐に侵攻するが、クメール王妃は王子をこの寺院に隠したという伝説で、そこから「隠し子」という意味の名前がつけられたといわれている。王朝の最盛期である13世紀に元朝クビライの使節、周達観が記した紀行文「真脳風土記」では、「金の塔(バイヨン)の北にある銅の塔」と呼ばれていて、
当時はバイヨンよりも高 さでは勝っていたと記されている。中央祠堂は現在修復作業中のため寺院内の参観はできない。 |
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バイヨン(MAPA) バイヨン寺院の参道は、朝日を浴びるように東を向いている。第一回廊と第二回廊に囲まれた中央には高さ42mの本殿がそびえ、四面体の観世音菩薩像は寺院内に計49体、至る所で神秘的な微笑をふりまいている。王部内にはほかにも五城門に1体ずつ菩薩像があり、合計すると54体あるが、この数は当時の王国内におかれていた州の数に由来するといわれている。ちなみに環壕に架かる橋に描かれた神々と阿修羅像の数も、同じく54体ある。参道を進むにつれて次第に菩薩像の
顔が大迫力で迫ってくる。第一回廊の壁画は、東西160m、南北140mあり、アンコールの遺跡では一般的な、神々のため、あるいは神に同化するために彫り込
まれた壁画とは異なり、ここには神話や勇ましい 戦闘の様子ばかりでなく、当時の庶民生活の様子が生き生きと写実的に浮き彫りにされていて興味深い。第二回廊の壁画はおもにヒンドゥーの神話や伝説が主題となっていて、東面北側には三島由紀夫の戯曲のヒントになったという有名な「ライ王伝説」の神話が一画に展開している。 (MAP バイヨン 拡大) |
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四面体の観世音菩薩像 |
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南大門参道の欄干には、ヒンドゥーの天地創造まつわり神話「乳海攪拌」をモチーフに、神々と阿修羅が左右にそれぞれ54体ずつ、犬蛇の胴体を抱えて綱引きをするような姿が描かれている。大門の高さは25mで、3mの菩薩の顔が東西南北を向いて4体あり、それぞれの顔が喜怒哀楽を表現していて、日の当たる加減に合わせて刻々と表情が変化するといわれている。 |
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