海外旅行記      
    ヨセミテ国立公園とグランド・サークル編    

サンフランシスコ市内観光

 1日目:サンフランシスコ市内観光。観光後、バスでヨセミテに移動。
(約260km,約4時間)
       
○ゴールデン・ゲート・ブリッジ
       
○フィッシャーマンズ・ワーフ
 2日目:ヨセミテ国立公園からバスでサンフランシスコに戻り、
(約260km,約4時間)
   ○ケーブルカー体験と夜景観賞&ロブスター・ディナーのツアーに出かける。



サンンフランンシスコ

 サンフランシスコは、霧の町(夏期には、カリフォルニア海流(寒流)と内陸部の熱厚との温度差のため、霧が発生しやすい)、坂の町(碁盤の目のように区画された通りに急坂が交差している)、1849年にゴールドラッシュが起こり人口が急増。多くの中国人も移り住み、全米最大規模のチャイナタウンが形成され、10万以上の中国人がいるそうだ。日本人は数万人しかいないそうだ。また、ヒッピーの町としても有名だそうだ。
 1906年4月にマグニチュード8.3の大地震が襲った。大火災が町の半分以上を焼き、死者は3000人上にのぼった。地震によって大打撃を受けた町だったが、回復は早かった。1936年にはベイブリッジ、翌年にはゴールデン・ゲート・ブリッジが完成。ここに、対岸のオークランド、バークレーを包含したベイエリアが形成され発展の基盤が造られた。現在は、シリコン・バレーがコンピュータ産業の中心地として脚光を浴び始めている。
   市内の地図は「ここ」をクリックして下さい。



ゴールデン・ゲート・ブリッジ

 サンフランシスコとサウサリートを結ぶゴールデン・ゲート・ブリッジ。4年の歳月をかけて1937年に完成した。全長2737mの世界に誇るつり橋。こんなにはっきりと見られることは、ないようです。

フォート・ポイントから望む ブリッジをバックに全員で
(提供:藤村さん)
設計者の銅像

1本のケーブルの大きさ 瀬戸大橋は、この橋を参考にした


フィッシャーマンズ・ワーフ

 かつては小船が出入りし、倉庫が連なっていた小さな漁港だったが、今じゃ一大ショッピング&ダイニング・エリア。魚海岸の雰囲気を残す。中でも“ピア39”は、桟橋や建物の木材を再利用して造られている。みやげ物店やレストランなどが結集している。
 昼食に渡蟹がでたが、非常に不味かった。昼食後、ピア39の先端からは、ゴールデン・ゲート・ブリッジやアルカトラズ島を一望した。 また、Kドックを数十頭のカリフォルニアアシカが占領して、日光浴を楽しんでいるのを見た。

ピア39の旗 歓迎する蟹 Kドックを占領するアシカの群れ

ゴールデン・ゲート・ブリッジを一望 アルカトラズ島をバックに
 

アルカトラズ島

 極悪人たちを投獄した連邦刑務所があった島で有名。 1963年に刑務所が閉鎖された後は、同州刑務所の歴史を語る博物館として一般に公開されている。

ピア39の先端からアルカトラズ島を一望


 ピア39の先端を散策後、チャイナタウン、ユニオン・スクエアを通って、吉幾三氏の従兄弟の店でトイレ休憩をして、ヨセミテに移動した。

ユニオン・スクエア

 南北戦争中、北軍を支援する大衆(ユニオニスト)たちの決起大会がここで開かれたことに由来する。

吉幾三氏の従兄弟の店がある通り

夕食はホテルの近くのレストランで 今夜のホテルに到着


 2日目:ヨセミテ国立公園からサンフランシスコに戻り、
   ○ケーブルカー体験と夜景観賞&ロブスター・ディナーのツアーに出かける。

 ヨセミテ国立公園の観光後、サンフランシスコに戻り、ケーブルカー体験と夜景観賞&ロブズターディナーに出かけた。サンフランシスコのネオンは、規制されていて派手やかさがない。静かなネオンで統一されている。ロブスターは、身が多くて、他大変美味しかった。
 ケーブルカーが来たので乗ろうとしたが、部品の交換作業が始まり、若干待たされた。サンフランシスコは坂が多いため、ケーブルカーは必要な乗りもである。 実際に体験したが、運転手のエリアが1/3を占めているようで、運転手の一人舞台であるようだ。寝たのは24時ごろだったと思う。 明日は3時45分に起きなければならない。

全員でロブスター・ディナ
(提供:手塚さん)
ベイブリッジの夜景

ケーブルカーの部品の交換中



         このページのトップへ  1           

        スケジュールのページへ