海外旅行記            

台湾5年周遊5日間

見聞を広める   スケジュールへ   次のページへ
 今回は、クラブツーリズムの「台湾5都市周遊5日間」のツアーを利用した。我々は、成田を9時38分に離陸して、台北に11時58分に着陸した。台北からバスで台中まで行き、台中観光して、台中のホテルで一泊した。そのとき、ツワー人数は14名だった。観光バスは、14人にしては大型だと思っていた。次の日にバスに乗ると全部で24名になっていた。我々より遅便で来たツアーの人々と一緒に観光するらしい。以後、17日までは一緒に観光した。18日は、我々は、台北を13時の飛行機で帰国した。後から来た連中は、4時間後に帰国するらしい。
 台湾5都市周遊とは、台中、台南、高雄、花蓮、台北である。台北から花蓮までは、観光バスで移動した。花蓮から台北までは、列車を利用した。
 台湾の正式名称は「中華民国」または「中華民国・台湾」と呼ぶが、歴史的経緯から中華人民共和国はこれを国家とは認めず、中国の一部と主張している。面積は、約3万6000k㎡、九州ほどの大きさである。

  写真の拡大は、「クイックリイに写真を閲覧」をご利用ください。

スケジュール

                      ◎:入場観光 ○:下車観光 △:車窓観光
月 日 都市名 時刻 交通機関 スケジュール
1日目6/14 東京(成田)

台北着
台北発
台中着




       ホテル
09:38離

11:58着
12:50発
15:04着
15:26発
15:59発
16:23発
17:42発
18:00着
NH1081


バス
《空路、台湾桃園国際空港へ》
  (所要時間約3時間30分)

《台中へ》(動時間約2時間30分)
台中観光
◎孔子廟
◎宝覚寺
果物屋に寄る
夕食:客家料理
ホテル 富王大飯店
2日目6/15 台中発 ホテル
日月潭着



日月潭発

台南着

台南発

高雄着




 

   ホテル
7:52発






14:20着
15:00発
15:28発

16:30着
17:00発
17:51発
18:29発
19:55発


20:36着
バス












《日月潭へ》(移動時間約2時間)
◎文武廟
○日月潭

◇民芸店にてショッピング
昼食:郷土料理
《歴史の街・台南へ》
    (移動時間約2時間)
◎赤崁楼
◎延平郡王祠
《台湾南部の最大都市・高雄へ》
  (移動時間約1時間30分)
◎澄清湖
◎龍虎塔のある蓮池潭
○寿山公園
夕食:台湾海鮮料理
夕食後、賑やかな
○六合夜市散策
ホテル:国際星辰大飯店
3日目6/16 高雄 ホテル

高雄発


台東着
台東発






花蓮着
       ホテル
7:53発

8:55発


12:15着
13:15発

13:45発
14:40発
15:35発
15:55発
18:40発
18:55着
20:20着
バス






《高雄市内観光》
◇民芸店へ
《南廻公路(草埔公路)を横断して台東へ》(移動時間約3時間)
トイレ休息
昼食:田舎料理
途中、《花東海岸公路を通り花蓮へ》(移動時間約4時間)
○奇観
○三仙台
○八仙洞
○北回帰線
阿美族文化村で民族舞踏ショー
夕食:台湾料理
ホテル:統師大飯店
4日目6/17 花蓮 ホテル
       


花蓮発


台北着





   ホテル
6:55発


9:45発
10:40発


13:00着
14:07発
15:55発
16:30発
17:30発
18:45発
19:25着
バス



列車


バス
《壮大なスケールの台湾最大の景勝地・太魯閣渓谷へ》
○太魯閣渓谷
◎大理石工場
《太魯閣号列車で台北へ》
  (移動時間約2時間20分)
昼食:列車内でお弁当
《着後、台北観光》
◇中国茶の試飲と作法体験
◎故宮博物院(約90分)
◎衛兵交代で有名な忠烈祠
◇民芸品店へご案内
夕食:石鍋料理と北京ダック
ホテル:台北三徳飯店
5日目6/18 台北 ホテル
       


台北発  空港

成田     空港
8:12発
9:00発

9:56発
13:29離

17:15着
バス



NH1082


《台北市内観光》
免税店に案内
△総統府
◎中世紀念堂(旧台湾民主記念館)
《空路、帰国の途へ》
  (所要時間約3時間10分)
到着後、自由解散

マップ

 マップ上で、赤線が、観光バスで移動した。黒線が列車で移動した。ほとんどバスで移動したことになります。でも、だいたい 1.5~2時間ごとにトイレ休憩があるので大丈夫です。
 今回、印が観光した所です。印の上をクリックすると、リンクしています。

taiwan_map.jpg 台北 台中 日月潭 台南 高雄 台東 花蓮 太魯閣渓谷

感想

 まず驚いたことには、市内の道路は車道が決められていることである。車は、右側通行で、一番歩道に近いところは、バイクおよび自転車、一番左が路線バス専用である。だから市内では、3車線である。北京やベトナムのようにバイクや自転車が車道に入り込むことがないので、観光バスに乗っていても安心できる。また、自動車の数は、人口約2300万人に対して、約1300万台あるそうで、ラッシュ時は、渋滞になるが路線バスはスイスイと進む。日本もこうなくちゃ、バスを利用する人は増えないのではないか。
 それから、19世紀末、日清戦争の結果、台湾は日本に支配された。日本は、台湾総督府を通じて、台湾の日本化を強力に推進した。日本の統治が始まった頃には、台湾人・台湾原住民は、毎年のように武力的な抗日運動が行われていた。また、1930年10月27日に「霧社事件」が勃発した。台湾は、1945年太平洋戦争が終わるまで、50年間にわたって日本に統治された。
 日本統治時代は「工業・日本、農業・台湾」というスローガンの下、台湾は日本に植民地化され、経済的にも搾取された。だが、皮肉なことに、台湾の特産であるサトウキビ(砂糖)、樟脳、烏龍茶などの生産力は、この時代に向上した。また、台湾統治のために後藤新平が取り入れた手法が台湾の人々から共感得られたようです。後藤新平の台湾統治の手法はこちらをご覧ください。
 また、磯栄吉が、「蓬莱米(ほうらいまい)」を作り、台湾に貢献した。磯栄吉さんの詳しい内容は、こちらをご覧ください。現地ガイドの林さんは、「さかもとごろう」と言っていたが、検索しても探せなかった。
 など、いろいろな人が台湾に対して尽力を尽くしたので、親日関係はいいようだ。ガイドの林さんは、「日本のお陰です。ありがとうございます。」と言ってたのが、何かしら嬉しかった。


  写真の拡大は、「クイックリイに写真を閲覧」をご利用ください。





このページは、下記の資料を参考にして作った。
 「地球の歩き方 北京・天津」 発行所 株式会社ダイヤモンド・ビック社