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 海外旅行記 
          バルト3国とサンクト・ペテルブルグ      
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サンクト・ペテルブルグ

第一日目(6月4日)成田空港からサンクト・ペテルブルグのホテルに向かう
第二日目(6月5日)午前:サンクトペテルブルグ半日市内観光
二日目(6月5日)午後:エルミタージュ美術館観光
第三日目(6月6日)午前:エカテリーナ宮殿観光
第三日目(6月6日)午後:ピョートル夏の宮殿観光


 サンクト・ペテルブルグは、フィンランド湾に流れ出るネヴァ川のデルタ地帯に発達した町。ネヴァ川の支流や運河を含めると、 65本の川と100以上の島がある。これらは365の橋によって結ばれ、”北のヴェニス”とも呼ばれる水の都だが、ヴェニスより、はるかにスケールが大きい。

 歴史上に名をだすようになったのは、今から300年前、ロシア帝王ビョートル大帝が、北方戦争(1700〜1721年)でスウェーデンの侵入を防ぐために 要塞を建設したことに始まる。1703年、ペトロバブロフスク要塞の完成と共に町は誕生した。ビョートル大帝は、対スウェーデン戦いに勝利し、 バルト海への出口を確保するために港を建設、1712年に首都をモスクワから移した。西欧諸国から建築家、造園家を招いて帝政ロシアの首都を築いた。 以後、1918年に首都がモスクワに移されるまで約2世紀にわたり、政治、経済、文化、芸術の中心として発展した。

 町の中心部には、美観を考慮して建てられた18,19世紀のバロック、クラシック様式の建築が、激動の時代を越えて残されている。 帝政と社会主義体制、そして共和国という3つのまったく異なる政治体制とその歴史、文化を知るのに絶好の場所である。

     

第一日目(6月4日)

成田空港からサンクト・ペテルブルグのホテルに向かう

 成田空港を12時26発。モスクワのシェレメテェヴォU空港着10時40分。約10時間。ここで、現地時間に合わせる。6時間遅らす。17時40分である。 シェレメテェヴォT空港にバスで移動して、国内線に乗り換る。サンクト・ペテルブルグのプルーコヴォT空港着22時50分。飛行時間は約1時間だが、 やたらに待たされる。プリバルチスカヤ ホテルに到着したのは、23時36分。この日の一日は非常に長かった。

シェレメテェヴォU空港 プリバルチスカヤ ホテル

第二日目(6月5日)

午前:サンクトペテルブルグ半日市内観光

 元老院広場(デカプリスト広場)、イサク聖堂、宮殿広場時間があればペトロパブロフスク要塞を観光する。                (MAPは「ここ」をクリック)

ロストラ灯台柱
 高さ32m。1810年にトム・ドゥ・トモンの設計。ロストラとは、船首の部分を意味する。敵軍の船首を切り取り、柱の飾りにして勝利を記念した古代ローマの習慣を思い出す
イサク聖堂
 金色の丸屋根を悠然と掲げているロシア正教の聖堂。世界でも3番目に大きな聖堂と言われている。内部は、モザイクや絵画などで飾られているそうだ。我々は中を観光しなかった。
ニコライT世の馬上像
 イサク広場の中央にニコライT世の馬上の像が(1859年作)建っている。イサク聖堂と一緒にパチリ。
スモーリヌイ修道院と寄宿学校
 この学校は、19世紀初め、エカテリーナU世によって、貴族の令嬢たちの女学校として建てられた。
スパス・ナ・クラヴィー聖堂
 モスクワの聖ワシリー教会を模した寺院。1881年に暗殺されたアレキサンドル3世の鎮魂を願いその場に建てられた。よって、血の上の教会と呼ばれている
宮殿広場
 冬の宮殿、エルタージュ、半円形の凱旋アーチ備えた建物などで囲まれ、美しい調和みせる広場。エルミタージュ国立美術館は、淡緑色の壁に白い柱と金の彫刻群が彩りを添えている。
アレクサンドルの円柱
 宮殿広場の中央に、高さ47.5m、直径4m,重さ600トンのアレクサンドルの円柱が建つ。1812年の対ナポレオン戦争勝利を記念造られ、1834年に完成した。何の支えもなく自重だけで建つ一枚岩の花崗石。
ガイドとドライバー
 ガイドは、キムイリーナさん。ドライバーは、イーグルさん。キムイリーナさんは、日本語が上手。ガイドも上手。イーグルさんの運転も上手。安心して観光ができた。

第二日目(6月5日)

午後:エルミタージュ美術館観光

 ロシアが世界に誇る長一流の美術館だ。ルーブル美術館、大英博物館と並ぶ世界で屈指の美術館。館内は、暦代皇帝の皇居であった「冬宮」と 3つの離宮と劇場から成り立つ巨大な建物だ。その中に約250万点以上のコレクションが展示されているそうだ。内容の充実もさることながら、 歴代皇帝の住まいでもあった建物も見応え十分である。帝政ロシアの財力をつぎこみ、全世界から最高級の材料を取り寄せ、 一流の職人を招いて作らせた内装と装飾品の数々。ロマノウ朝皇帝の権力と豪華絢爛な生活をかいま見ることができる。一部をご紹介しましょう。

B.-F.ラストレッリ.中央階段、上部 大四輪箱馬車.1717.パリ
A.モンフラン.ピョートル
大帝間.1833-1834
勲章の門、細部
C.ロッシ.1812年の祖国戦争
ギャラリー.1826
G.クヴァレンギ.聖ゲオルギウスの間.1793
(修復:V.スターソフ.1837-1839)
ティツィアーノ.改悛のマグダラの
マリア.1560代
ファエロ.聖母子像
(コネスタビレの聖母像)1504頃
エルミタージュ美術館のチケット

夜:バレーの観賞に行く

 レストランで夕食した後、ガイドのキムイリーナさんの案内で、ポリショイ劇場に「白鳥の湖」のバレー観賞に行った。席は、舞台の前にオーケストラの席があり、 その前(一番前)であった。オーケストラの連中は、自分の受け持ち部分がくるまでは舞台を見たり、隣と話したりしている。自分の受け持ちの箇所がくると、 チャンと演奏する。滑稽でならない。劇場の内装は豪華絢爛。帝政時代のロシアにタイムスリップしたような気分になる。

エルミタージュ劇場 内装は豪華絢爛
終演の挨拶


第三日目(6月6日)

午前:エカテリーナ宮殿観光

 サンクト・ペテルブルグ郊外のプーシキンにあるエカテリーナ2世の夏の離宮。エカテリーナ女帝の命により、ロシア・バロック様式を代表する建築家ラストレリによって、 1756年に完成した。概観は、青色を基調とした外壁に白い柱が映え美しい。宮殿内にある教会のドームもみごたえあるが、内装も金箔と鏡を使った豪華さには驚がされる。 各部屋は、柱の色によって、「赤柱の間」、「緑柱の間」などと名付けられている。

 なかでも「琥珀の間」は、内装すべてに琥珀が用いられ、世界の奇跡と賞賛されたほどだった。しかし、ナチス・ドイツ軍が撤退した後、広間には、なにも残っていなかった。 現在も、これら琥珀の行方は不明だが、地道な修復作業が続けられ、2003年にオリジナルのまま再現された。この「琥珀の間」は必見です 。また、エカテリーナ宮殿は、日本人と深いかかわりをもつところでもある。18世紀末、日本が鎖国時代、漂流してロシアに流れ着いた大黒屋光太夫が、 エカテリーナ女帝から帰国の許可を得た場所でもある。

エカテリーナ宮殿:庭園側概観 大広場(舞踏の間)1750年代
琥珀の間:琥珀の間では撮影禁止。
入り口の前でパチリ
宮殿をバックに全員でパチリ
左:大池、トルコ風浴場。右:チェスマ柱

昼は、エカテリーナ宮殿近くのレストランで食べる。


第三日目(6月6日)

午後:ピョートル夏の宮殿観光

 ピョートル大帝がフランスのベルサイユ宮殿を模して造った宮殿。その建築には多くの有名建築家、彫刻家、造園化が集結し動員された。 約1000haの敷地内に約150に及ぶ様々な形の噴水が点在。当時の水力工学の枠を集結して造られた噴水は、250年たっても枯れることはない。建設に着工したのは、 1714年。完成するまでに200年の歳月を要したといわれている。

下の公園の噴水。
水は、フィンランド湾まで流れる
ピヨートル夏の宮殿の入場を待つ
ガイドのキムイリーナさん。名調子 鏡の素晴らしさ
ロシアの有名人のデザインの家具と椅子 各部屋にきれいなタイル張りのペチカ
がある
サムソン像:「ライオンの口を引き裂くサムソン」とよばれている 緑豊かなベトロヴァレェツの噴水をバックにパチリ左端が添乗員
フィンランド湾側から眺める宮殿。
絵になる
水中翼船に乗る

 17時26分に出航。水中翼船でサンクト・ペテルブルグに戻った。丁度、水中翼船に乗船して、出発を待っているときに、雨が降り出した。 サンクト・ペテルブルグに到着したときは、すでに雨は上がっていた。運がよい。夕食は、地元レストランで、ビーフストロガノフを食べた。 明日は、エストニアのタリンに向かう。



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