海外旅行記
バルト3国とサンクト・ペテルブルグ |
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モスクワ
モスクワは、ロシア連邦の首都だけある。サンクト・ペテルブルグからバルト3国を見て廻って、最後にモスクワに来たが、道幅広く重厚な高層建築が建ち並ぶ姿は
、かつてソ連の首都として、ワシントンと世界を二分したことがわかる。
第9日目(6月12日)
午前:モスクワ市内観光
9時37分、列車は無事モスクワのベラルーシ駅に着いた。即市内観光に出かける。
(MAPは「ここ」をクリック)
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無事ベラルーシ駅に到着 |
我々の列車を運んだ機関車 |
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ベラルーシ駅 |
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モスクワ大学
モスクワ大学はロシアにおける東京大学である。この大学だけはコネでは入れない。この大学を卒業すれば、ロシヤ社会のエリートとして将来を約束される。1953年スターリン様式の学舎が完成した。高さ240m,正面幅450m。学生数は3万2000人。 |
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ヴァラビョーヴィ丘
モスクワ市内で一番高い場所。ガイドは、スズメが丘と言っていた。ここからモスクワを一望できる。手前のドームは、ルージニキ大スポーツアリーナ。モスクワオりンピックの時に建設された。 |
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チャイコフスキー記念モスクワ音楽院
ルビンシュテインが1866年に創設してすでに1世紀以上を経ったコンセルヴァトーリヤでは、あのチャキフスキーも12年間若い音楽家を指導した。 |
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ノヴォデビッチ修道院を池側から眺める
16世紀に初頭に建てられた女子修道院。ロシア史の重要な事件の舞台ともなり、またチャイコフスキーが池の白鳥を見て「白鳥の湖」を書き上げた場所でもある。 |
赤の広場に行こうした際、独立記念日のためゲートされて行かれなかった。
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クレムリン
アメリカのホワイトハウスは実際に見ていないが、クレムリンの方が優れていると思う。誰しもが、このクレムリンに入りたいと戦っているのも分かる気がする。クレムリンは、もともと城壁を意味するロシア語だが、モスクワのクレムリンは長い歴史の中で徐々に拡大し、ツァリー(皇帝)の居城として繁栄してきた。巨大な権力をもっていたツァリーは、その力を余すことなく使い、クレムリン内にさまざまな建築や宝を遺した。
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イワンの大帝の鐘楼
イワン雷帝(イワンW世)の頃、モスクワにこれ以上高い建物はなかった。それは誰もこの建物以上高い建物を建てる権利がなっかたからだ。イタリアの建築家フルアツィンが1505〜1508年にかけて大体を建て、ペトロフ・マリーが1532〜1543年かけて八面体の鐘楼を付け加えて完成した。
城壁と鐘楼
クレムリンの周囲は、2235m、その周囲をぐるりと城壁が囲んでいる。城壁の上には銃眼が並び、適当な間隔をおいて20の鐘楼が据えられている。
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聖ワシリー聖堂
ロシアでクレムリンの次に有名な建築。真ん中に高さ47mのねぎ坊主が1本。その周囲をぐるりと8本のねぎ坊主が取り巻いている。それも対象的ではなく、てんでばらばらに配置されている。でも不均衡だがなかしら調和がとれている。1561年、イワン雷帝がポストニクとパルマの二人に設計を命じた。 あまりの美しさにびっくり、二度とこんな美しい建造物ができないように二人の設計者の目をくり抜いたという。モスクワ川を挟んで写す。
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第9日目(6月12日)
夕刻:モスクワ空港に向かう。
飛行機は19時25分発だが、17時30分に到着するようモスクワ空港に向かった。
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モスクワ空港のホール |
さて、ここでまた一騒動。先ず、搭乗券をもらうゲートまで、なかなか入れてくれない。また、そこまで行く出入口は一箇所のため、人が溜まる。
やっと入れる時間がきたので、入るやいなや検査。そして、目的のゲートに行っても、我々の飛行機の取り扱い時間が来るまで、待たされる。
我々の受付け時間が近づいてきた頃、一つゲートを開いて、日本人は、ここに並んべと指示があったので、今まで並んでいた列から移動した。これが間違いだった。
指示した係員が札を取り付けた。なんとビジネスクラス優先だった。結局、早く来ていたのに、最後になった。後で聞いた話だが、早く搭乗券をもらわないと、
満席になったらそこで終わりになるらしい。なんと私の席は、一番最後の席だった。
第10日目(6月13日)
成田空港:10時30分無事到着した。
今回の旅行は、サンクト・ペテルブルグに関しては、3泊あったのでゆったりできて、言う事なし。
バルト3国は、移動時間が4〜5時間必要なので、もう少し余裕があったらいいと思う。なんだがカケアシで通り過ぎたようだった。
寝台列車も何十年振りにだったが、いい経験だった。モスクワは、独立記念日に当たったため、赤の広場など近くまで行けなっかたのが残念だった。
バルト3国は、これから徐々に日本人観光客が増えて行くと思うが英語がほとんど通じない。ロシア語か主に現地語である。
これからバルト3国にいく人のために、このホームページが参考になることを自負している。
最後に、沢山写真を撮ったが、後で見てもどれがどこだか分からないところが多くあり困ったが、株式会社ダイヤモンド社・株式会社ダイヤモンド社の
「地球の歩き方」を利用させてもらった。
さて、次は何処に行こうか・・・・・・
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