海外旅行記            

充実のトルコ周遊8日間

見聞を広める   スケジュールへ   次のページへ

 二年振りにミニ日吉会メンバーで、トルコに出掛けた。いつもの通り、安くて、盛り沢山の観光をするツアーを探した。阪急交通社のtrapics「充実のトルコ周遊8日間」を利用した。空路は、行きも帰りもモスクワで乗り継ぎで、アエロフロートロシア航空(SU)だった。12月の時期なのに3つのグループがイスタンブールまで、SUを使ったことにびっくりした。と我らの添乗員が言っていた。我々のツアーには、35名が参加していた。 

 ツアーのコースは、
 1日目、成田を13時30分ごろに離陸して、モスクワ、イスタンブールと飛行機の中、イスタンブールのエレシント トプカ ホテルに到着したのが夜中の1時20分だった。乗り換え時間を入れても約19時間掛った。長い1日だった。
 2日目、イスタンブールの新市街から金角湾を渡って旧市街地に入り、早朝のグランドバザールを見学する。その後、マルマラ海のヨーロッパサイドを走り、Gelibolu港でバスごと乗船し、Lapseki港で下船してアジアサイドに入り、トロイの遺跡観光(世界遺産)してアイワルクまで走る。(約345q、約6時間30分)
 3日目、エーゲ海に面する港町イズミールを通過して、エフェスでエフェス観光(約250q、約3時間)。観光後、パムッカレまで走る。(約185q、約2時間30分)<BR>
 4日目、パムッカレ観光(世界遺産)後、コンヤまで走り、古都コンヤ観光をする(約410q、約5時間)。
 5日目、カッパドキアへ向かう(約215q、約3時間)。着後、カッパドキア観光(世界遺産)する。その後、アンカラへ向かう(約268q、約3時間30分)。アンカラエクスペレス(1等寝台車)で、イスタンブールに向かう。
 6日目、イスタンブール観光(世界遺産)して、ホテル コンラッドへ。
 7日目、再び長い時間のかかる飛行機に乗る。8日目、成田に11時12分に到着した。

 詳細は、スケジュール表を見てください。途中の時間はあいまいかもしれません。また、トルコのどの辺を走行したかは、地図を参考にして下さい。

スケジュール

                      ◎:入場観光 ○:下車観光 ☆:乗船観光
月 日 都市名 時刻 交通機関 スケジュール
1日目12/3 東京(成田)

モスクワ
モスクワ
イスタン
ブール ホテル
13:24離

17:52着
22:30離
 0:30着
 1:20着
SU-576


SU-205

バス
《空路、モスクワへ》
 (所要時間約10時間25分)
着後、航空機乗継
《空路、イスタンブールへ》
  (所要時間約2時間55分)
エレシントプカプ
(アエロフートロシア航空利用)
2日目12/4 イスタン
 ブール








トロイ着

トロイ発
アイワルク             ホテル
8:00発

8:30着
9:00発


11:28発
13:21発
14:00発
14:30着
15:40着

16:30発

18:25着
バス







バス





グランドバザールを見学
       〈約30分〉
その後《ダーダネルス海峡》をフェリーで渡り《トロイへ》
 (約345q、約6時間30分)
トイレタイム(26分)
途中、魚料理の昼食
ゲリボリ港
ラプセキ港
着後、【世界遺産】《トロイ遺跡観光》   〈約50分〉
観光後、《アイワルク》へ
  (約150q、約2時間)
グランド テミゼル
3日目12/5 アイワルク



エフェソス






パムッカレ
   ホテル
 7:30発

 8:05着
 9:00発
11:10発
11:50着



13:50発
14:50発
15:35発

17:50着
バス






《エフェス》へ
 (約250q、約3時間)
途中、トルコ石の店に寄る。         〈約45分〉
トイレタイム
着後、《エフェス観光》
    〈約1時間30分〉
◎エフェス遺跡
○アルテミス神殿
◎聖母マリアの家
途中、昼食:シシケバブ
革製品のお店へ〈約1時間〉
観光後、《パムッカレ》へ
(約185q、約2時間30分)
サーマル コロッセア
4日目12/6 パムッカレ






コンヤ
 7:42発
8:00着
9:22発

11:00着
11:20発

12:54着
13:42発
15:35着
15:50発

17:00着
19:00
バス 【世界遺産】《パムッカレ観光》へ 〈約1時間〉
◎ヒエラポリス遺跡 ○パムッカレテレマル ○石灰棚
トイレタイム(20分)
観光後、《コンヤ》へ
  (約110q、約5時間)
途中、トルコ風ビザの昼食

一度ホテルにチェックイン
着後、《古都コンヤ観光》(約1時間〉
◎メヴラーナ博物館
リクソス ホテル
夕食
5日目12/7 コンヤ


カッパドキア












アンカラ
7:30発

8:50着
9:08発
10:40着
12:12発
12:20着
12:52発



13:05着

14:07発

18:50着
19:43発
21:00着
22:00発
バス














 


列車
《カッパドキア》へ
  (約215q,約3時間)
途中、シルクロードを通り○キャラバンサライ(隊商宿)に立ち寄る
途中、トルコ絨毯工場に寄る
     〈約1時間30分〉
着後、【世界遺産】
《カッパドキア観光》約3時間〉
○鳩の谷 ○ウチヒサール

昼食は、洞窟レストラン(BORA)
《カッパドキア観光》
◎ギョレメ野外博物館 ○スリーシスターズ
その後、《アンカラへ》
 (約268q、約3時間30分)
途中での夕食は、煮込み料理
アンカラエクスプレス(1等寝台)にて、《イスタンブールへ》
6日目12/8 イスタン
 ブール

 7:15着
 7:29発


列車
バス



バス

着後、【世界遺産】
《イスタンブール観光》
 〈約1時間〉
◎ブルーモスク ◎トプカプ宮殿
◎ハーレム ◎宝物館
☆《ボスフォラス海峡》の船旅
昼食は、観光途中にシーフード料理
コンラッド ホテル
夕食は、キョフテ
7日目12/9 イスタン
 ブール



イスタン
 ブール発
モスクワ着
モスクワ発

 9:30発
10:45着
11:45発
12:30着
14:50離
18:05着
19:55離
JPNTime
(1:55)
バス


SU-208


SU-575
【世界遺産】《イスタンブール観光》へ    〈約1時間〉
◎アヤソフィア      
《空路、モスクワへ》
 (所要時間:約2時間55分)
着後、航空機乗継
《空路、成田へ》
(所要時間:約9時間35分)
機中泊
8日目12/10 東京(成田)
11:12着
  通関後、空港で自由解散。

マップ

マップ上の赤線が今回の観光ルートです。

感想

 盛り沢山の観光を望んでいるので、朝早くから夜遅くまで動き回るのは仕方がない。それにしても今回のバスの走行距離と時間は、約1,823q、約25時間30分もあった。しかし、今回のコースでもトルコの半分も観光していない。トルコに世界遺産が9つあるが、そのうちの3つしか観光していない。
 今回、添乗員の話では、トルコは非常にに寒いと言われていたので防寒着を用意ていたが、幸いにも天候に恵まれ快適に観光ができた。それに、添乗員と現地ガイドが最高の出来だった。特に現地ガイドのアルパーさんは、非常に勉強家だと思った。バス移動中でのトルコの歴史の話を永遠と語る。もちろん何も見ないで、しゃべり続ける。結構世界史の勉強になった。また、添乗員の高橋さんは、添乗員の仕事以外に、パソコンとプリンタを持参し、その日の観光の様子をプリントして、皆さんに回覧するなど、行動が早い。この二人のお陰で、ツワーが2倍ほど楽しくなった。
 バスには、トイレがないが、1時間半か2時間間隔でトイレタイムをセットしていたのでさほど問題はない。トイレタイムでは、トルコ石の店、革製品の店、トルコ絨毯工房があり、その度に値段の交渉で盛り上がった。
 トイレの話で恐縮ですが、ホテルやトイレタイムのお店では無料です。その他では、使用料50クルシュです。1トルコリラの半分です。1トルコリア払っても必ず御釣をもらえるので安心です。便器は洋式もありますが、中にはトルコ式があります。トルコ式は、和式と似ていますが、しゃがむとき、ドアに顔を向けてしゃがみます。WCのペーパーは流さない。添乗員の高橋さんの話では、イスラムの方々は今でも手で洗う風習があるそうです。また、管の径が細いので詰まるそうです。最初は、いつもの癖で流してしまうが、そのうちにペーパを流さなくなって来ます。

 トルコは、ヨーロッパとアジアの2大陸にまたがっている。また、地中海を南下するとすぐにアフリカにたどり着く。地球の要に位置する。それだけに東西南北の交流が盛んだったのではないか。そして、歴史は紀元前6000年ごろには、新石器文化を示す集落がつくられていた。コンヤ南東の丘陵チャタル・ホユックの遺跡では、日干しレンガで構築された立方体を積み重ねた形の集合住宅が発掘され、世界最古の町のひとつとされているなど、かなり古い。

 ところで、トルコの人は、何故親日であるか。トルコの子供は、日本人を見ると、笑顔で手を振る。それは、1890年(明治23年)、オスマン帝国の特使として、日本を訪問した軍艦エルトゥールル号は、熊野灘で暴風雨に遭った。 今の和歌山県串本町の紀伊大島付近を航海中に沈没。艦長を含め、乗船していた580人余りが死亡した。紀伊大島の住民たちの懸命な救助と介護で69人が命を取り留めて帰国した。この海難事故が日本とトルコの友情を深めた。この海難事故が小学生の教科書に載っているので、トルコの人は皆この話を知っている。ガイドのアルパーさんは、得意げに話していた。日本人の子供は知っているでしょうか? また、日露戦争で、宿敵ロシアを倒したことがトルコ国民の親日感情を高めたと言われているそうです。

 少し話が長くなるが、皆さんにはまだ記憶にあると思いますが、こんな事件がありました。
イラン・イラク戦争の1985年3月12日、イラク軍によるイランの首都テヘランに対する空爆が始まった。テヘランの在留外国人は空爆を避けるために国外避難を準備し始めたが、3月17日に至って、イラクのサッダーム・フセイン大統領は「3月19日20時半以降はイランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」という声明を発した。そのとき、在イラン日本人は、200名以上は脱出方法が見つからず生命の危機に瀕していた。(日本が救助できなかったことは省力する。)イランの日本大使館の野村豊大使は、トルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えると大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答え、大使の要請を受けて2機のトルコ航空機がテヘランへ派遣された。2機のトルコ航空機が215人の在留邦人を乗せてイラン国境を越えてトルコ領空に入ったのはタイムリミット直前のことであった。(Wikipedia を参照した。
 こんな話を日本の子供は知っているでしょうか? 話はこれぐらいにして、トルコ旅行記をご覧ください。



このページは、下記の資料を参考にして作った。
 「るるぶ トルコ・イスタンブール」 発行所 JTB ッブリッシュング
  「トルコ 阪急交通社のガイドブック」
  「トルコ」 出版・販売 MERT Basim Yaymecilik Dagitim ve Reklamcilik Tic. Ltd .Sii.
 添乗員 高橋さんの「イスタンブールまでの道のり」と「ブルゴ風メモ」
 ガイド アルパーさんのガイド説明